東野圭吾 著 『ある閉ざされた雪の山荘で』って どんな本?

東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』 小説

『ある閉ざされた雪の山荘で』は、東野圭吾による長編推理小説で、1992年に講談社ノベルスから刊行され、1996年に文庫化されました。第46回日本推理作家協会賞(長編部門)候補作にも選ばれた本作は、2024年1月に映画化され話題となりました。

タイトルに「雪の山荘」とあるものの、作中では実際に雪が降って閉じ込められるシチュエーションは登場しません。しかし、劇団員たちが舞台練習を通じて仮想の「吹雪の山荘」に閉じ込められるクローズドサークルの状況を作り出すという、斬新な設定が読者の注目を集めました。

物語は、劇団「水滸」のオーディションに合格した7人の若者たちが、演出家・東郷陣平の指示で乗鞍高原のペンション「四季」に集まるところから始まります。演出家からの手紙には、「外部との連絡を取らず、豪雪で孤立した山荘にいると仮定して演技を続けること」という厳命が記されていました。劇団員たちは、役を失う恐れからこのルールを守ることを余儀なくされ、外界との接触を断たれた状態で稽古を進めていきます。

しかし、舞台練習が進むにつれて状況は一変します。1人ずつメンバーが姿を消し、現場には「殺害状況を説明するメモ」が残されます。最初は演出の一環だと思われたこれらの出来事も、次第に「本当に殺人事件が起きているのではないか?」という疑念を呼び起こします。ペンション内で繰り広げられる異様な緊張感、そして次々と消えていくメンバーたち。劇団員たちは疑心暗鬼に陥りながらも、それぞれの推理を巡らせていきます。

舞台設定を超えた実際の恐怖と、虚実の境界が曖昧になる状況下で、果たしてこの奇妙な稽古の真相とは? そして、事件を仕組んだ人物の目的とは何なのか?

劇団員たちの心理描写と、推理劇としての本格要素が巧みに交錯する本作は、東野圭吾の異色作として多くの読者を魅了しています。

東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』

『ある閉ざされた雪の山荘で』

(講談社文庫)

1992年 3月 発売

俳優を目指す青年・久我和幸は、劇団「水滸」のオーディションに合格し、次回作の舞台稽古に招待されます。舞台は、雪に閉ざされた乗鞍高原のペンション「四季」。集められたのは久我を含む7人の男女で、全員が劇団員かその関係者。稽古の指示は、演出家・東郷陣平から届いた手紙に書かれていました。それは、「豪雪で孤立した山荘」という設定のもとで、殺人劇の筋書きを自ら作り、演じるという内容でした。しかし、この稽古には奇妙な条件が付けられていました。「外部との接触や指示の無視はオーディション合格の取り消し」という厳しいルールです。

初日、ペンションに集まったメンバーたちは、与えられた状況を不審に思いながらも、舞台稽古を開始します。翌朝、最初の異変が起こります。劇団員の一人・笠原温子が姿を消し、部屋には「温子がピアノのそばで殺害された」という設定を示す紙が残されていました。これはあくまで稽古の一環だと考えたメンバーたちですが、やがて疑念が膨らんでいきます。

続く日、第二の犠牲者が現れます。今度は元村由梨江が失踪し、彼女の部屋にも「鈍器で殴られた」という設定のメモが残されていました。さらに、裏庭からは血のついた花瓶が発見され、事件が単なる演出ではない可能性が浮上します。劇団員たちは、これが本当に舞台稽古なのか、それとも実際に殺人が行われているのかを疑い始めます。

事態はさらに混迷を極め、やがて第三の犠牲者も出ます。残されたメンバーたちは、自分たちが犯人を見つけ出さなければ次は自分が狙われるかもしれないと恐怖を募らせます。しかし、雪深い山荘という閉ざされた環境の中、全員にアリバイがあるように見え、外部犯の可能性も否定されていきます。

そして、真相を明かす時が訪れます。実は、全ての出来事が演出家・東郷陣平による巧妙な演出だったのです。この稽古は劇団員たちの精神や観察力を試し、犯人役の心理を深く探求するために仕組まれたものでした。しかし、演出が現実と交錯し、彼らの中に潜む隠された感情や過去が浮かび上がることになります。

極限状態の中で次々と繰り広げられる事件と心理戦。果たして誰が犯人で、何が真実なのか。そして、この奇妙な稽古を通して久我和幸は何を掴むのか。読者を最後まで引き込む、緊迫感あふれる推理劇です。

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