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幕末近辺まで日本で肉食が禁止されていたのはなぜ?|理由を歴史と文化から解説

日本で肉食禁止だった頃のイメージイラスト 雑記

私たち日本人は、いまでは牛肉や豚肉、鶏肉を当たり前のように食べています。

しかし、ほんの150年ほど前まで、日本では「肉を食べること」が強く避けられていました。

「日本では昔から肉食が禁止されていた」

そんな話を聞いたことがある人も多いでしょう。

けれど実際には、法律でずっと厳しく取り締まられていたわけでもなく、完全に肉を食べなかったわけでもありません。

では、なぜ日本では幕末近辺まで肉食が広く行われなかったのでしょうか。

その理由は、

  • 仏教の思想
  • 農耕社会ならではの合理性
  • 政治と社会制度がつくり出した価値観

といった、複数の要因が重なって生まれたものでした。

この記事では、

「宗教の問題だったのか?」

「本当に禁止されていたのか?」

「なぜ明治になると一気に解禁されたのか?」

こうした疑問に答えながら、日本人が長いあいだ肉を食べなかった“本当の理由”を、できるだけ分かりやすく整理して解説していきます。


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日本で肉食が長く避けられてきた最大の理由は、仏教の影響です。

これは一部の僧侶や貴族だけの話ではなく、社会全体の価値観として定着していった点が重要です。


● 仏教の「不殺生」と肉食忌避

仏教には、基本的な戒律の一つとして

「不殺生(ふせっしょう)」──生き物を殺してはならない

という考え方があります。

この思想が日本に広まるにつれて、

  • 動物を殺すことそのものが「悪いこと」
  • その結果である肉食も「好ましくない行為」

と捉えられるようになっていきました。

特に忌避されたのが、牛・馬・犬・猿などの四つ足動物です。

これらは人間に近い存在、あるいは生活を支える大切な動物と考えられ、「命を奪って食べる」ことへの心理的な抵抗が非常に強くなりました。


● 肉食=宗教行為ではなく「道徳」になった

重要なのは、この肉食忌避が信仰の問題だけにとどまらなかった点です。

次第に、

  • 肉を食べないこと=善い行い
  • 肉を食べること=下品・野蛮・穢れ

という価値観が生まれ、日常の道徳や常識として社会に浸透していきました。

その結果、「信仰しているかどうか」に関係なく、肉を避けるのが“普通の日本人”という空気が形成されていったのです。

これは後の時代、政治や身分制度とも結びつき、肉食文化が表に出にくくなる大きな土台となりました。


日本の肉食忌避を語るうえで欠かせないのが、天武天皇による「肉食禁止令」です。

この出来事は、単なる一時的な命令ではなく、その後の日本社会の価値観に長く影響を与えました。


● 675年の肉食禁止令とは?

天武天皇は675年(天武天皇4年)、次の動物の肉を食べることを禁じました。

この命令は、「日本で初めて公式に肉食を禁じたもの」として知られています。

ただし、ここで重要なのは、すべての動物の肉が一律に禁止されたわけではないという点です。

魚や貝類などは対象外であり、あくまで当時の社会にとって重要な動物が中心でした。


● 宗教だけでなく「農耕社会を守るため」の政策

この肉食禁止令は、仏教思想の影響を受けていたことは確かですが、それだけが理由ではありません。

当時の日本は、稲作を基盤とした農耕社会でした。

  • 牛や馬は田畑を耕す貴重な労働力
  • 簡単に殺して食べてしまえば、生産力が落ちる

つまりこの命令は、宗教的な理想と、現実的な社会運営の両方を考えた政策だったのです。


● 「法律」よりも「国家が示した価値観」

天武天皇の肉食禁止令は、後世まで厳密に取り締まられ続けた法律というよりも、

国家が公式に示した“価値観の方向性”としての意味合いが強いものでした。

天皇が

「これらの動物を食べるべきではない」

と示したことで、

  • 肉食は避けるべき行為
  • 国として好ましくない行動

という認識が社会に根づいていきます。

その結果、「肉を食べない文化」が制度や道徳と結びつき、次の時代へと受け継がれていくことになりました。


天武天皇の時代から約1000年が経った江戸時代になっても、日本では肉食が一般化することはありませんでした。

その背景には、江戸時代特有の社会構造と価値観が深く関係しています。


● 農耕社会における牛・馬の役割

江戸時代の日本は、米を中心とした農業社会でした。

その中で牛や馬は、

  • 田畑を耕す労働力
  • 荷物を運ぶ運搬手段
  • 農家にとっては家族同然の存在

という、非常に重要な役割を担っていました。

そのため、

  • 食べるために殺すよりも
  • 生かして使い続けるほうが圧倒的に合理的

だったのです。

こうした実利的な理由も、「肉を食べないのが当たり前」という感覚を支えていました。


● 肉食と「穢れ」が結びついた社会構造

江戸時代には、肉食は単なる食習慣の問題ではなく、「穢れ(けがれ)」と結びついた行為として扱われるようになります。

  • 動物を殺す
  • 血を扱う
  • 死と直接関わる

これらはすべて「穢れ」とされ、避けるべきものと考えられました。

その結果、

  • 屠殺
  • 皮革加工
  • 肉の流通

といった仕事は、社会の周縁に追いやられていきます。

これにより、肉食そのものが公の場に出にくくなり、「肉は普通の人が食べるものではない」という空気がより強固なものになっていきました。


● 武士や町人にとっての「表と裏」

江戸時代の武士や町人にとって、肉食は表向きには避けるべき行為でした。

  • 武士は道徳と規範を重んじる存在
  • 町人も世間体を強く意識

そのため、仮に肉を口にすることがあっても、

  • 人前では食べない
  • 名目を変えて食べる

といった形が取られます。

この「建前と本音」の使い分けが、肉食文化が広がらなかった最大の要因の一つでした。


ここまで読むと、

「昔の日本では本当に誰も肉を食べていなかったの?」

と疑問に思うかもしれません。

結論から言うと、肉食は“完全に禁止”されていたわけではありません。

ただし、食べ方・扱い方が非常に限定されていたのが実情です。


● 魚や鳥はなぜ許されていたのか

日本の食文化で特徴的なのが、魚や鳥は広く食べられていたという点です。

これは、

  • 仏教で特に忌避されたのが「四つ足動物」だったこと
  • 魚は水の生き物で、血や死のイメージが薄かったこと
  • 鶏は農家にとって卵を産む存在でもあったこと

などが理由とされています。

その結果、

  • 魚介類を中心とした食文化が発達
  • 精進料理や和食の基礎が形成

されていきました。

「肉=すべてNG」ではなく、動物の種類によって扱いが大きく違っていたのです。


● 滋養強壮のための「薬食い」

一方で、猪や鹿などの獣肉が完全に姿を消えていたわけではありません。

これらは、

  • 体力回復
  • 病後の滋養
  • 冬場の栄養補給

といった目的で、「薬食い(くすりぐい)」として食べられることがありました。

重要なのは、これはあくまで「食事」ではなく、「薬」という名目だった点です。


● 肉を隠すための言い換え文化

肉食への抵抗感が強かったため、獣肉はそのままの名前で呼ばれることを避けられました。

たとえば、

  • 猪 → 山くじら
  • 鹿 → 紅葉
  • 馬肉 → 桜

といった呼び名です。

こうした言い換えは、「肉を食べている」という事実を和らげ、社会的な違和感を減らすための工夫でもありました。


つまり当時の日本では、肉は食べてはいけないものではなく、堂々と食べてはいけないものだったと言えるでしょう。


長く「当たり前ではなかった」肉食が、幕末から明治にかけて急速に広がったのは、

日本社会そのものが大きく変わったからです。


● 西洋との接触で価値観が揺らぐ

幕末、日本は欧米列強と本格的に接触するようになります。

そこで日本人が目の当たりにしたのが、

  • 西洋人の体格の大きさ
  • 軍事力や技術力の差
  • 肉を常食とする生活習慣

でした。

これにより、

  • 「なぜ彼らはあんなに体が大きいのか」
  • 「なぜ戦争に強いのか」

という疑問が生まれ、食生活、とくに肉食への関心が高まっていきます。

肉を食べることは、もはや「穢れた行為」ではなく、強い国になるための合理的な手段として見られ始めたのです。


● 明治天皇の肉食公表が持つ意味

決定的だったのが、1872年(明治5年)の出来事です。

明治天皇が、牛肉を食べたことを公式に公表しました。

これは単なる私的な食事ではなく、

  • 肉食は問題ない
  • 近代国家として西洋化を進める

という、国家としての明確なメッセージでした。

それまで、

  • 肉食=道徳的に避けるべきもの

だった価値観が、

  • 肉食=文明開化・近代化の象徴

へと、わずか数十年で反転します。

こうして、約1200年続いた肉食忌避の文化は、一気に終わりを迎えました。


ここまでの内容を整理すると、日本で肉食が長く定着しなかった理由は、次の要素が重なり合っていたからだと分かります。

  • 宗教:仏教の不殺生思想
  • 経済:農耕社会における家畜の重要性
  • 政治:国家が示した価値観と統治
  • 社会:穢れ意識と身分制度

つまり、「肉食が禁止されていた」というよりも、

肉を食べない生き方が、当時の日本社会にとって最も自然で合理的だった

というのが実態でした。


幕末近辺まで肉食が一般化しなかったのは、日本が「遅れていた」からではありません。

当時の宗教観・社会構造・生活様式において、肉を避けることが最も安定した選択だったのです。

そして明治以降、社会の前提条件が変わったことで、食文化もまた大きく変化しました。

肉食禁止の歴史を知ることは、日本人がどのように価値観をつくり、変えてきたのかを知ることでもあります。

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