🌿昭和ロックをけん引した偉大なギタリストが逝く
2025年5月10日、グループサウンズ(GS)の伝説的バンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリスト兼ボーカリストとして活躍したエディ藩(えでぃ・ばん、本名:潘廣源/はん こうげん)さんが、感染性心内膜炎のため神奈川県横浜市内の病院で死去されました。
享年77歳でした。
長年にわたり日本の音楽シーンをけん引し続けたエディ藩さんの訃報は、世代を超えた多くの音楽ファンに大きな衝撃を与えました。
🎸横浜発、グループサウンズの異端児として
エディ藩さんは1947年6月22日、横浜市山下町生まれ。
華僑として中国籍を持ちながら、関東学院中学・高校・大学と地元横浜で学び、音楽の道へと進みました。
1966年、横浜の米軍基地文化の影響を受けて「ザ・ゴールデン・カップス」を結成。
ブルースやR&Bの香りを漂わせたサウンドと卓越したギタープレイ、そしてしぶく熱い歌声で人気を博し、1967年のデビュー曲「いとしのジザベル」や「長い髪の少女」「愛する君に」などのヒットを飛ばしました。
その音楽スタイルは、典型的なグループサウンズとは一線を画し、のちのロック・ブルース・ジャズ系のアーティストたちにも多大な影響を与える存在となりました。
🎶“横浜ホンキー・トンク・ブルース”が象徴する魂
エディ藩さんの代表的な楽曲の一つが「横浜ホンキー・トンク・ブルース」。
作詞を藤竜也さんが担当し、松田優作、原田芳雄、宇崎竜童など数々のアーティストにカバーされ、名曲として語り継がれています。
この楽曲には、横浜という港町とアンダーグラウンドな夜の文化、そしてエディさん自身の人生が投影されています。
🛤️活動の多様化と再結成、音楽人生の終着点
1972年のザ・ゴールデン・カップス解散後は、ソロ活動や「エディ藩とオリエント・エクスプレス」などで精力的に活動を展開。
1980年代には音楽から離れ、実家の中華料理店「鴻昌」の経営に注力する時期もありました。
1990年代後半以降は再び音楽活動を本格化し、2003年にはザ・ゴールデン・カップスを再結成。
ドキュメンタリー映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』(2004年)でもその姿をファンに届けました。
🕊️ミュージシャン仲間からの追悼の声
ザ・ゴールデン・カップスの元メンバーであるミッキー吉野さんは、SNSを通じて次のようにコメントしました。
「エディが亡くなりました。僕の青春が終わりました。そのカップスに誘ってくれたのがエディでした。感謝しかありません。心からありがとう。」
また、親交の深かったキャシー中島さんもブログで哀悼の意を綴り、「どこかで覚悟していたけれど、残念で悔しくて、辛い」と語っています。
✨語り継がれる音楽と人柄
エディ藩さんが残した音楽は、昭和・平成・令和を超えて、今も色褪せることなく聴かれ続けています。異文化の混じり合う横浜で育ち、日本の音楽シーンに「ブルース」「ソウル」「グルーヴ」を持ち込んだ先駆者として、その功績は永遠に語り継がれるでしょう。
🕯️編集部より
エディ藩さんのご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
あなたが奏でた音は、これからも日本中の心に響き続けます。
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